◎おかげをおかげと知る。三つのおかげ。ご利益。お生かしのおかげ。願わんでも頼まんで飛び込んでくるようなおかげ。自分を空しくする。%V
%1秋永先生への御理解。梨のお知らせ。恵比寿様。
%2大黒様の変遷。
%3久富繁雄に羽織袴の正装を。
%4親先生はどんなことでも神様にお届けしなければされない。
%5信者を先生任せにする稽古
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昭和43年06月19日 朝の御理解
御理解第78
「神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたすことがあり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。」
人間と身代と達者しかもそれが三代続いたらとゆう事は、もう子々孫々に続くという事、ね。神の気感に、身にも家にも信心の徳がつく、いわゆる親の代よりも子の代というように段々繁盛してゆく事疑いなしと。そういう、お蔭を受けてこそ初めて神様の喜んでくださる氏子、いわゆる神の機感にかのうた氏子、とここに説いてございますね。そこで長い御理解の前の方はこのことが書いてございますから。
一番最後の所ですね「神のおかげをしらぬから互い違いになってくる」と【神のおかげを知らぬから互い違いになってくる】「信心して神の大恩を知れば無事健康でとこういうてある、信心して神の大恩を知らぬね、それから子孫も続き身代も出来一年勝り、代勝りのおかげを受ける事ができる。親の代よりも子の代と言う様に代勝りのおかげを受ける事が出来る最後のここの所をよく解らなけれいけないとこう思いますね。
「神のおかげを知らぬから」とこういう、ね、又は「神の大恩を知れば無事健康で」と、神の大恩そこで神のおかげを知る言う事と同時に神様の大恩をひとつ解らなならんという事が分かります。ね。そこでその神様の大恩をわからして頂く稽古が必要になってくるのでございます。私はこの「神のおかげを知らぬから」と仰る神のおかげの中には色々ございますけれども、それを大体三つに分ける事が出来ると思う。
第一に御利益だと思うですね、お願いをしてほんとに不思議なおかげを神様のおかげを、ね、所がこのおかげを知っただけではほんなこっちゃない。そのおかげは薄れてくる必ず。次には、もう当たり前の事、当然の事、いうならばあまりにも大きなおかげですから、それを見過ごしておるようなおかげ。段々信心をさせて頂くようになりますと、ひとすくいの水にでもお礼申さずにはおられない。
第一不思議で不思議でたまらんですね、ちょっとこう水道をひねると水がジャーツと出てくるてんなんてどげん考えたちゃ不思議でたまらん。そらもう水道というそういう設備が不思議じゃない、そのでてくる水そのものが不思議でたまらん。限りなくその水が使わして頂けておるいうその事。ところが余りにも大きな、それこそ、神様のお徳でございますから、お徳の現れですから、お互いがそれを気がつかん。
いわゆる水の恩、火の恩と言うこと、マッチをパットこうすればねライトをちょっと押せばパッと火がつく、もう当たり前の事のようですよね。ライターばこうやって押せば火が出ることはわかっとう、マッチをこうすりゃ火が出ることはわかっとう、けれども、その当たり前ということ、そりゃ人間が生きとるけんで目の覚めることは当たり前。ね、朝めがさめるということなんか不思議でたまらん事。
もし目ががさめなかったら、それを永眠という、長い眠り、永眠、長い長い眠りにはいっていく、という事はもう死ぬるということ。もし、私共に朝目が覚めさめなっかたら、ね、そのままいわゆる永眠になってしまうのです。ですから、もう当たり前のことの中に神の働きということを分かる。そこで目がさめたということだけでも、今日もお生かしのおかげを頂いて有り難いとこう分かる。
叩かれれば痛い、痛いけれども生きておるしるしとしてお礼を申し上げられる。これが私は二つ目のおかげだと思う。「神のおかげを知らぬから」お願いをしてお取次ぎを頂くと、ほんとに出来ないと思うていた事が出来てくる、ほんとおかげを頂いて。このおかげはね、それけんというて願いどうりに、お願いしたら、お取次を頂いたら、たんびに自分の思うようになると言うことではないところにですね。
そのおかげというものが早速おかげ頂きましたとこうね。けれども次ぎに自分の思うようにならんことがあると、それをおかげと思いきらん偶然視するわけですね。あげんなるごとなってなっとるとじゃろうという思い方が、人間の心の中に起きて来るです。おかげの実感が薄うなって来る。ね。だから本当にあの無い命でもいうなら医者に見放されたと言った様な人達が、一生懸命の信心をしておかげを頂きますとです。
本当に自分は神様のおかげで助かっているんだ、神様のあって初めて自分が今日ここにあるのだ、という事をです。思い出して、神の大恩を少しばっかり感じ続けることが出来るのですね。%Vそういう大きな御利益頂いときますと、御利益ね、そのおかげを頂くとそういう<意味がある。それから、あの余りにも大きいから皆が当たり前の事のように思うている事。その、当たり前のような事の中にですね。
不思議で不思議でたまらんおかげが実感出来るようになると信心もだいぶん進んだ、とこう言うね。皆さんお水をすくって、冷たい洗面器の中に手をこうつっこんだ時にね、もう冷たい、しみるように冷たい水の中に手を入れてです。本当に神様のこの肌で感じるような有り難さというものを感じたら、ね。そういういわばお水で顔を洗うならば、何時もこの皮膚が若々しゅうしとるじゃろうと思うですね。
どういう素晴らしい化粧水より素晴らしいなあと、ね、是をもう神様の言わばお恵みの物として本当に実感できる。そういう私は当たり前の様に思うている事の中におかげを発見する。当然の事の様に思っている手が動いたり足が動いたり、当たり前の様に思うている。けれども実際病気でもしてみて手が動かん足が動かんと言う事になってみてみると、本当に神様のおかげで動かして頂いておったんだと言う事が分かるから、
お参りをさして頂いても「只今お引き寄せを頂いてお引き寄せを頂きまして有り難うございます」と、お礼を申しあげなければおられんのである。そりゃ、あんた、信心しよらん者でん誰でん手は動きよるじゃない、足も動きよるじゃない、そうどころじゃ無い、信心しよってもしよらんでも、いわゆる世界中の氏子に「おかげはやってある」というおかげ。目には見えないけれども、私共がこの空気を吸うておると言う事。
神様にこの空気を吸わせて頂いているということ。ね。もうこれは大変な神様のお徳の中にあるけれども、お徳をお徳として自分が知らないと、もう当たり前の事になる、ね。そういうおかげを、まず知らなきゃ【】。「神の大恩を知れば」と。ですからどうでも皆さんそれを知らなきゃいかんとですから。ね。いわゆる親の代よりも子の代、子の代よりも孫の代というようにです。
一年勝りのお蔭を頂きたいならどうでも只今申しますような、ね、御利益の中にも、特別の御利益の中にも、それから「世界中の氏子におかげをやってある」と仰せられる、いわゆる当たり前の事の様なおかげの中に、おかげをおかげと分からして貰うと言う事。ここを説明をすれば誰でもすぐに分かる所、ほんに考えて見ればそうですね。是が神様の働きとするなら、やはり神様にお礼を申し上げなきゃならんね。
という事になる。なる程一すくいの水にでもあれは愚かなもんじゃないなあ、本当に神様が氏子を助けなければやまんという働きが、お水ならお水火なら火の中にお働き下さっておるんだという事をです、分からして貰う時にマッチ一本すらして頂いても、「有り難うございます」を言わなきゃおられんのである。ね。神の大恩が少しずつ分かって来る。その大恩を知れば、おかげを知ればです、ね。
「神のおかげを知らぬから互い違いになる」とおっしゃるのじゃから。ね、自分の思うようにならんのは神のおかげを知らぬからだ、人間が幸せになっていけないのは神のおかげを知らぬからだと。だからここん所を皆さんどうでも知らないかんとです、神のおかげをおかげと知らないかん。そしてそこに神のおかげに対して、その神恩に対してお礼を申し上げなければ、ね。神の大恩が分かってきた。
次ぎには是はね信心をさして頂かないと。又は本気で修行をさして頂かないと解らないおかげがある。どう言う事だか解る信心しないと分からないおかげ、いや信心しとっても本気で修行さして貰わなければ、おかげと分からないおかげがある。このおかげをおかげと分からして貰う、いわば三つのおかげをね、おかげを三つの段階に分ける事が出来る。ここん所が分かると初めて神の大恩が分かってくる。
昨日月次祭終ってから、茶の間にちょいとお茶頂きよります時に、秋永先生と高橋さんと久富さんと三人でお茶を頂いてお話しをしておると、秋永先生が「昨日のその朝の御祈念の時にこげなお知らせを頂きましたが」とこう言われる。それがはっきりその頂くんですね『それがその果物の梨をこうやってくださる、しかも梨をむいて目の前にさあ食べよと言わんばかりに下さる、誰かが。』
「先生、梨ちゃどういう意味で、どういう御神意があるとでしょうか」「それでその梨をどげんされた」「それを私はいらんて言うて食べじゃった」とこういう訳なんです。「梨じゃなんでしょうね」て、結局、%Z梨とは無いという事、空しいという事。秋永先生がもう20年も前の、私の福岡での修行中の時分に、毎日お参りをして来ておった。そういうある日に、頂いたおしらせが。
私の心眼に『恵比寿様がこうやってから岩にこしかけてね、鯛を釣りよんなさる。所が中々釣れんごたる風さあ、こうやってこうもう岩のところの近所には大きな鯛がゴチョゴチョ泳ぎよとですよね。それがああたあんまり重なる様にして泳ぎよるもんじゃけん跳び上がるわけ、そして恵比寿さんの腰には、その大きな魚のてぼて言うですかね、籠で作ったてぼが置いてある。』それで。
御理解にこの恵比寿様が竿で鯛を釣ろうとして、よし釣れたところで一匹一匹の釣り上げることしかできない、手がいる。一匹一匹それも釣れる迄待っとかなでけん、二匹一緒に釣れることなんてまずない。だから手が外せない、竿をにぎっとかなでけん、ちゃあんと。だから秋永何時までもこの竿を握っとくのじゃなくてですね、恵比寿さんはね、ちゃんと竿をかたげてござる。
そして、このびくですね、籠をね、かごの蓋を空けておけと、大きなかごの蓋を、下にこのごちょごちょおよぎおるとがとびあがりおるあんまりいっぱいでだから自分でこの中にとびこんで来るて、かごの中に、そういうお蔭を受けるようにならなければいけんぞと、これはもう秋永先生が二十年前に頂いた。あの時から、恵比寿さんのおしらせを頂くと秋永先生という事。
私は大黒様、秋永先生は恵比寿さんという風にお知らせ下さりよったですね。あの時分の大黒さんは大きな袋をかついでですね、大きな袋をかついでお兄様達の後ろからついてさるきよんなさる、という様な感じの大国主之命のあれがありましょうがね、いなばの白兎に表れてくるような感じの大黒様であった。お兄様達の荷物をかついで後ろからついていきよんなさるという感じ、まだ打ち出の小槌は持ってござらなかった。
それが段々お蔭を頂いてから、米俵の上に上がってござる大黒様、打ち出の小槌をこうもってござる大黒様と言う風に段々こう大黒様の神格が変わって来た。現在では米俵の上に小さい打ち出の小槌ではあるけれども持ってござる、という感じですよねえ。ですからその恵比寿さんも、いつ迄も魚釣りの三味境じゃなくてですね、もういわば竿はかたげて、いうならばこのびくの蓋をとっておく。
開けっ放しにしておくとゆう事にならなきゃ。先生がその梨のお知らせを頂いたけれども、さあ食べよとおっしゃたけれども、まあだ食べん食べじゃった遠慮したと言う事は、「まあだ無にはなれないとゆう事じゃなかろうか」と言って、ゆうべ話した事でした。いわゆるその竿を離しなさいって。何故ってこの竿を持ってると他の事が出来んとですよ。この竿ばかたげておくともうかごを空けておくだけで。
両方の手でどげなこつでん出来る。今そういう所を秋永先生は一生懸命稽古しておられるとゆう事じゃないでしょうかねえ。朝二時半に出てこんならんそして四時のご祈念を頂いて帰らして頂いて、そして今一時の今ご祈念に出てくる。さあ様々な会合には、秋永先生がまあみえなきゃ始まらんという感じ。これが対外的な他の教会の信徒会なんかにでも、やはり信徒会長としてからあるかなきゃならん。
何かといえばすぐ信徒会長まあ教会の御用に殆どを、もう殆どいうならば時々はね、時々もう竿をはずしとんなさるような感じですけどね。これをひとつ離しきってしまわないかん。それが秋永友良が空しゅうなる事そこからねえ、そこから頂けてくる所のおかげ。いわば願わんでも頼まんでもおかげのほうが鯛の方が自分から飛び込んで来るようなおかげ。それにはお互いがねえ。
ひとつ自分というものを愈々空しゅうしてゆかにゃあいけん。まあだこげんですけんあげんですけんと言い訳どんしておる間はいつまでたったちゃね、今日私が言う三つ目のお蔭は分からんのです。神様が下さる所の無尽蔵のそのおかげ。そこでお互いが例えば日のうち何時間ずつでもこうやって外していきよるという事。昨日田主丸のむつ屋のお婆ちゃんのお葬式が御座いました。
昨日総代さん方が話し合っておると思っておった所が話し合っていないと言う。繁雄さんたちが残っておられましたから、「そんなら繁雄さんあんた残って下さっとるといい」、まあだ虫取りでああた忙しいのだけれども、お天気もいいし、すぐ帰らなならんという風じゃったけれども、「あの皆が行けんなら、こういう忙しい時でもあるから、代表でね、行ってください。」
「このままおって帰りおるもう忙しい中ですからでられん、このままおって行って下さい」。「高芝さんだけは連絡とって、どげんしたらいいか話し合って、行って下さい」という事に申しましたから、「そう致しましょう」という事になった。「けども先生こげな風で来とります」普段の洋服で来ちゃる、「けどあんたが洋服を着替えに帰りよるとね、出にくうなる」と私が言う。
「家内やら子供達には目まいがしたかなんかて、しらごと言うとけば(笑)今日は目まいがしよるけんで帰られんぞと言うときなさいと私が言うて、いうならですよそういうふうに申しましたから。「ならそげんしましょ」という事で、昨日一日おられました。それでね、それで私が私の上等の方の奉仕着を家内に出させまして、奉仕着をいわゆる紋付き袴を着けてから、繁雄さん昨日お悔やみに行かれました。
それが今時あげな紋付き羽織り着けてから歩いておる者なおりませんからね、おかしいわけですたい私には言いなさらんけれども、「秋永先生自動車にいっちょ乗せていって下さい、こげな【】出てもさるかれんから」(笑)「そげんなこつがあるもんかい、あんた紋付き袴着けてから出てさるかれんことがあるもんかい」。ばってんそういうふうに思いなさる訳、けれどもあそこが繁雄さんの良かとこです。
いやと言いきんなさらんところが良かとこです、そしてから奉仕着をですねそしたら皆がほんとよう似合いなさいますもん。そしたら高橋さんが言われる事です。親先生があげんしょうかてこたえんもんやけん(笑)「着物着せて帯びをしてやって羽織りを着せて、さあ扇子を持ってこうして行きなさいと、数珠まで出して来てから、さあ数珠を持ってこうして行きなさいと、こう用意をしてやってそげんしてしてやろうごとしてこたえん」て、私が、「我が自分が楽しむ為にあげな事しござる」と言う様な事を言うわけなんですよ、高橋さんが(笑)。
私はそれが心に引っ掛って一時のご祈念の時にですね、それを私があの神様にお届けをさせて頂きよった、私はどげんこつでん神様に一応はお届けしなければせん事に決めておった、成程、私はちったどちらかといえば情の方が過ぎとる方ですけん、さあ着物の着ようが悪かなら着せ替えてから自分が帯でんしめてやらねば気が済まんくらいあるのですから、やっぱりそうゆう風に見えるかも知れません。
ですからその本当に、自分の情だけでそうしたじゃろうかと、私は思うてから神様に、それでしとるならばこれは我情になるから、お詫びしなければならん。そしたらね神様からおしらせを頂きますのに、%Z『あの鵜匠の姿を頂いた。鵜匠というのは、あの鵜飼の時のねこうした簔を着けた、あの鵜匠の姿を頂いた。』ははぁ是はね先生が信者を先生任せにする稽古をさせよとおっしゃる、ね。
例えばどうですか、さあ今から鮎ばとってもらわんならんという時に、その鵜匠のいうことを鵜が聞かなかったらどうですか、ね。さあ今日は忙しかろうばってああた残りなさい、ハイ。しらごっでん言うてから家内には、今日はめまいのするて言いなさい、ハイ。さあそげな洋服着替えに行くと、出にくうなるからこのままおりなさい、私の着物ば貸すから、ハイ。下駄も白緒の下駄の坊さんのはかしゃるごたあとを(笑)
あれば履いて行きなさい。そりゃもうそぎぁんそげんなもんち他んもんなら言うとこですけど、いやて言いきらん人ですから、それでやっぱ白緒の下駄白足袋を履いて行かれました。そしたら向こうでは、とてもよか晴れたそうです。(笑)あっちは、それこそ合楽の親先生じゃなかじゃろうかと思うたかもしれん、知らんもんが。とゆう様にです。結局その鵜が鵜匠の言う事が聞けないことでは。
もうそこにはね信者と先生、いわゆる神様と氏子いわゆる神様任せは先生任せと、こう言われておる。そういう稽古をね今ならばリアルに稽古させて下さる様になった、ね。親先生が言うた通りにしたけん恥けいたと言う事は決してなかて。返ってさあどうぞ貴方が玉串じゃなか焼香でもあったから、一番にあげて下さいてやっぱ衣装からでもそんごたるふうになって来るのじゃないでしょうかね。決して悪い事じゃない。
という様にですね是はなら昨日は一日繁雄さんは、私の為自分を空しゅうしなさった訳なんですよ。そこから生まれてくるものそこから頂けるもの、自分という者が空しゅうなる所にです、どういうおかげが受けられるかとゆう体験「今日は忙しゅうございますけんこうあるですけんで」と言うとる間は今私が申します先の二つのおかげは分かっても、最後の所のおかげが解らん、自分から飛び込んで来る様なおかげは分からん。
ここの所の三つのおかげを分からして頂いた時です。おかげをおかげと分からして頂く時に、私は神の大恩が分かるいよいよ、神の大恩ということが、自分が空しゅう、なんにもできない私、神様の前に無条件。そこに限りなく頂けるところのお恵みを受けて、初めて神の大恩ちゃ有り難い事だとゆう、いよいよ大の字をつけねばおられない程の大恩を、感ずる事が出来る。
今日はそこん所をですね、「おかげを知らぬから、互い違いになって来ると」、互い違いになってくるときに、おかげをおかげと知らんから「信心して神の大恩を知れば」神の大恩を知らんから大恩を知っておるようであるけれども、本当の大恩とゆうのはです、今その三つの全ての事がおかげをおかげと感じさせて貰えるおかげ。為には、ただ今申しますように自分を空しゅうしてゆく稽古が必要であるという事。
恵比寿さんがそう夕方じぁないか場合には親先生任せになって、自分とゆうものを一日空しゅうしなければいけないそうゆう稽古。そこに年勝り代勝りのおかげの頂けれる元というものがでけてくる。そこで真の道の大綱ですね御神訓の中にはこうあります「疑いを離れて広き真の大道をひらき見よ吾身は神徳の中に生かされてある」と仰る「疑いを離れて広き真の大道をひらき見よ吾身は神徳の中に生かされてある。」
吾身は神徳の中に生かされてあるその神徳の中に生かされてあって、始めてそれこそ身動きの出来ない程に、神様のお徳の中に詰まっておる、ある私であるとゆう所に、神の大恩というものを感知する。大認する事が出来る。私の修行中の自分にはこの畳をですね、畳を歩きますとね、この畳の目の一つ一つがね、全部神様の姿に見えるんですよね。もうこれが全部そのお釈迦様のごたあ姿をしてござるとやら。
冠をかぶってござる人達がもうこの目一つ一つの中にですね、もうあらゆる仏様や神様がこれに見えるんですそげな風に。どんこん勿体のうして歩かれん、身動きが出きなかったそういう時代がありました「神の中をわけて通りおるようなものじゃ、道を歩いておろうが、畑で肥えをかけておろうが神の中を、分けて通りおる様なものじゃという実感。神様の御神徳というものの中にある私達、それを本当に身近に感じる。
それには神の大恩を知らなければならない。その神の大恩を分からして貰う所にです、いわゆる我が身は神徳の中に生かされてある、とゆう実感が生まれて来る所に神恩報謝の生活が本当にでける。ね、その神の大恩を知る為には、三つのおかげを、私知らねばならないと今日は。そこから我が身は神徳の中に生かされてあるとゆうところの、喜びがですね、いよいよ限りなく頂けて来る。
しかも、このびくの蓋さえとっとけば、限りなくおかげの方がとびこんで来るとゆうようなおかげにもなってくる。為には場合いつもかつもとはいわん特別のご祈念があっておる、そういう時だけでもひとつ本気で、自分を空しゅうする稽古をなさらないかん。特に、「今日あんたちょと御用があるが」「今日は麦採りでいそがしうございますけん」て言わずに、もし言われたら。
「ハイ」て素直に言えれるですね、自分を空しゅうする稽古を本気でさしてもろうて、初めて、私が言う今日の三つ目の神の恩がわかる。そしてこの三つが分からしてもらう所に神の大恩を知る、そこから互い違いにもならず、ね、一年勝り年勝り、代勝りのおかげが頂けるようなおかげが開けてくるのですよね。
どうぞ